養老孟司さんの講演をもとに

 2月5日、美馬市の主催で「消費者問題啓発講演会」なる催しがあり、養老孟司さんの「人はなぜだまされるのか」と題する講演を聞くことができた。

 養老さんは講演中、「自分が書いたり喋ったりする事の内容について、『責任を持て』なんて言われたら何も書けないし、何も言えない」というような発言をされた。私も今回養老さんに倣って「発言者の真意を取り違えてはいないか?」「聞き違いをしてはいないか?」「文脈はとっちらかっていないか?」などなど、当コメントを書き進める上で生ずる逡巡を出来るだけ振り払ってサクサクと筆を進めようと思う。

 第二次大戦の終戦直後、当時小学2年生だった孟司少年は、かつては戦意高揚を謳った文言が記されていた箇所があちこち墨で塗り消されている教科書を見て、都合が悪くなったら後から消せばそれで済むのであれば、書いている事って信用できないなと思ったそうだ。今の若い人たちはどうか分からないが、年配の人たちはテレビで放送されたことや新聞に書かれていることを特に疑いを差し挟むことなく信じているのではないだろうか。私なども、中々におめでたいオツムを備えているため、結構「へぇ〜、そうなんや」と受け入れてしまう方だ。

 養老さんによると、某テレビ局がニュース番組など、報道に関しては常に「公平、客観、中立」な放送をしているというけれど、そんなことは有り得ない、出来っこないというのだ。
 「円錐」を例にとって説明されたのだが、真横からだと円錐は「三角」に見えるが、真上から見るとそれは「円」である。ニュース映像も結局はそれを撮影した一人のカメラマンの視点、言わば主観に過ぎないわけで、「公平、客観、中立」であるわけがないと仰った。つまり、本当は〇の部分もある相手について、意図的であるかどうかは別として、我々は△であると見せられて、そう認識してしまっている可能性がある。

「皆さんが思った常識は『その時』の常識。正しいかどうかは分からない」

「客観的な事実が世の中には存在していると思われているが、そんなものは神様にしか分からない」

「我々が当たり前だと思っていることはもっと検証してみる必要がある」

 などと講演の随所で発言され、起こった出来事や与えられた情報を一面的に捉えたり、鵜呑みにするのではなく極力自分の頭で慎重に考えるべきだということを重ねて仰っていた。

 「何が正義なのか分からない」という発言から「振り込め詐欺も、取った人がそのお金を正しく使ってくれたならばそれは『所得の再分配』なんですけど」に至っては養老さん一流の冗句(joke)であろうが、しかし物事は余りに考え過ぎると本当に答えが出なくなってしまう恐れはある。

 

 下手にいろんな情報を得てしまったばっかりに却って正解が分からなくなるということはよくあることだ。
 例えば、コンビニで万引きを繰り返す男子中学生がいたとする。初めの1、2度は注意だけで宥恕するも、ほとぼりが冷めるとまたパンやら菓子やらを万引きしていく。さすがにブチ切れた店長は逃げようとする少年の首根っこを掴み、引きずるようにして事務所に連行。しかし謝罪どころか一切口を開かず不貞腐れているので、警察を呼んで引き渡した。後日その少年の家は母子家庭で、母親は入院していることが判明。少年は万引きしたパンや菓子を一口も口にすることなく、すべて小さな弟、妹に与えていたという事実を知らされたとしたら・・・。つぎ、仮にその少年が万引きするのを目撃したとして、前回とまったく同じ力加減で張り倒し、そのやせ細った首根っこを掴んで引きずり回すことができるだろうか。

 裁判官なんかは争う両者の言い分をそれぞれすべて聞いてそれらを吟味した上で一つの答えを必ず導き出さなければならないのだから他人事ながら大変だろうなあと思う。いずれにせよ広い見識を持った、物事を多面的に考えられる頭のいい繊細な人というのは凡人と違い、何か一つの判断をするに際して多くの要素や選択肢を検討することになるであろうから必然的に苦悩の数も多くなることだろう。


  今年もはや2月に入った。日本的バレンタインデーは時代と共に変化しているそうだが、かつての「義理チョコ」から「友チョコ」、家族に贈る「ファミチョコ」、お世話になっている人に贈る「世話チョコ」など、贈る相手にしてもその意味にしても、最早何でもありの様相である。振り込め詐欺と比較するつもりはないが、これもどこかの誰かに騙されて、小銭を吸い取られているという気がしないでもない。

 「食うか食われるか、騙すか騙されるかというのは自然界には普通にあることです」と養老さんは言う。頭がいいばっかりにあれこれと常に気を回し、苦悩は多いが人に騙されることはないという人と、然程物事にこだわることはなく、騙されているということさえ気付かずにいる人。どっちが幸せなのだろうか。答えは分からない。

  「忘れっぽいのは素敵なことです、そうじゃないですか〜」。浪人生時代、来る日も来る日も聴いていた中島みゆきの歌の一つにこういう歌詞があった。当時は「忘れっぽいことは決して素敵ではない」とツッコミながらその歌を聴き、自らの記憶力の悪さを恨めしく思っていたものだ。私の場合、ちょっと悩むことがあったとしても一晩寝ると大概のことは忘れてしまうという性質(たち)は当時からそう変わらない。しかし、忘れっぽい頭というのはそう悪いものでもないな、と今は思っている。                     (2012.2.7)

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