自然を前にすれば人間はこれ程までに小さく無力なのか、と改めて思い知らされ愕然とする。平時は地球上において「万物の霊長」などと主(あるじ)の如く振舞っているが、一たび自然が本気をみせると一溜まりもなくねじ伏せられ、ただ逃げ惑うしかない。

国際ボクシング協会のルールブックによると、対戦相手の腕を抱え込んだり、下に押さえつけるだけで反則なのだそうだ。ましてや相手のガードを下に押さえつけておいて顔面を殴るなどという行為は観ている側にとっても恐怖である。「地震」そして時を移さずして「津波」という一連の現象は人間が自然から被る地球規模の反則技に思える。家屋を倒壊させ、塀を倒し、崖を崩し、道路を寸断し、退路を断っておいてから大波をぶちかましてくる。自然が繰り出す恐怖の反則技を制止してくれるレフェリーはいない。

かねがね思っていることであるが、「地震予知」って何? というところである。「今後○十年以内にどこそこ地方にマグニチュード○以上の地震が発生する可能性が○パーセントある」という情報。無いよりはあったほうがいいのかも知れないが、建物の耐震強度を高める意識を喚起する効果がいくらかはあるにせよ、最終的には「いつでも避難できるよう非常袋を備えておきましょう」「避難場所と経路を確認しておきましょう」という結論になるのではないか。

「避難しましょう」・・・どこに? 津波が来ても水没しない山の上の堅牢な公民館?

「逃げましょう」・・・どうやって? 地震で倒壊した瓦礫の上を津波より速く走って?

素人の私が考えるに、人間が地震を防ぐ、つまり地面を揺らさないようにするというのは不可能であるように思う。揺れに対しては耐えるしかない。しかし津波は防げないにしてもその衝撃を和らげることはできるのではないか。極々小さな規模では「防波堤」や「消波ブロック」が既に存在する。実際の津波の破壊力を知らない子供じみた発想と非難されるのは承知であるが、地震を防ぐことと比較すればまだ可能性はあると思える。莫大な費用がかかるであろうし、人間の存在よりも自然の景観を重視する人がいればひょっとすると「美観を損ねる」といった意見があるかもしれない。人間がいなくなれば「美観」を認識する主体もなくなるのであるが、ならばボタン操作で海底からせり上がる防波装置というのはどうだろう。いずれにせよ今は「両手ぶらり」のノーガードであり、被災すれば何百億円、何千億円とも知れぬ損害が生じるのである。そして何よりも日本国の国民の生命にかかわることなのだ。

地震や津波が今後も必ず襲ってくると分かっているのであれば、それに対して正確に予測して、積極的に防御・応戦するべきか、それとも人間なんてものは自然に対し逆らわぬばかりか「ただ逃げ惑うだけ」の存在でいたほうがいいのか。

ネットでは「関東から四国でも大地震のリスクは上昇している」との記述を目にする。明日は我が身どころか「今夜は我が身」かも知れない。

被災地の方々のご無事と一刻も早い復興を切に祈ります。

                    2011年3月14日    川崎 浩

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