「人生は地獄よりも地獄的である」

 芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中、「地獄」の冒頭でそう言っている。彼が言うには、人が死んで地獄へ堕ちたとしても、そこで与えられる苦しみには一定の法則があり、ワンパターンで変化もなく簡単に順応できるものなのだそうだ。

 日本の仏教によると、罪を犯した後に死んだ人には閻魔大王ら十王と呼ばれる裁判官によって七日ごとに、「地獄の沙汰」といわれる裁判を受ける権利があり、罪状に応じて服役すべき地獄(等活地獄〜無間地獄という八種類の地獄)に適切に振り分けてもらえるそうである。

 人生、殊に子供たちの暮らし、置かれている状況ってどうなのだろうか。放射能汚染の問題については言うに及ばず、灼熱の車内に放置されて衰弱死、川や海での水難事故など子供たちにとっては危険と隣り合わせといった日々ではなかろうか。

 昨今、新聞などでは保護者等による幼児・児童の虐待死という記事が、特に注意して見ておらずとも「頻繁」と言っていいくらいの頻度で掲載されていることに気付く。子供の身になって考えてみたとき、この虐待死というのが、他の事件・事故と比較してもズバ抜けて悲惨であるように感じられる。暴力による肉体的苦痛はもちろんのこと、食事を与えられず徐々に弱っていく場合に味わう恐怖、そしてそれらを反復継続して感じ続ける時間的長さ。

 しかし、私が最も重視するのは彼らが感じたであろう「絶望」である。この世で唯一の味方であるはずの頼るべき相手から虐待を受け続けて死んでいった彼らの絶望の深さは正に想像を絶する。

 優しく頭を撫でてくれた同じその手で、虫の居所が悪いときは張りとばされ、温かく抱きしめてくれることもあれば同じその腕で、死ぬほど壁や床に叩き付けられる。食事を与えられず衰弱した身体にはひと際こたえる責め苦である。

「ちょっと、この子が何かそれ相応の罪でも犯したの?」法令を順守する地獄の閻魔さんが見たら、そう言って割って入るほど極めて感情的で無法則な所業である。確認しておくが、地獄へ送られたのはその人が罪人だったからである。謂わば自業自得であり、予測もできる。しかし、虐待を受ける子供にとって身に降りかかった責め苦は青天の霹靂に近い。愛情と暴行が無秩序に混在するその場に順応することは子供に限らず、大人にだって容易ではない。だからと言って幼い彼らにそこから逃げ出す術もなければ、よそから助けが来ることも無いのである。ここを措いて「地獄よりも地獄的」な場所が他にあるだろうか。

 虐待により短い生涯を終えた彼らが、極楽浄土で旨いものをたらふく食べて安楽にしていることをただ願うばかりである。しかし万が一、仮に間違って地獄へと迷い込んだとしても、人生という、地獄よりも地獄的な場所での責め苦に耐え続けてきた彼らである。法則を破ることのない木偶の坊のごとき餓鬼から掠め取った飯を携えて、「針の山」などピクニック気分で登れるだろうし、「火の海」なんぞはキャンプファイヤーに持って来いの代物であるに違いない。

 そう考えでもしなければ、最も身近にいる相手、保護してくれるはずの相手、そして誰より愛している相手から責め立てられた挙句、人生を奪われた幼い彼らの心情を思うとやりきれんじゃないか。

 「悪事を働けば地獄へ堕ちるぞ」という教え、或いは脅しが、犯罪の発生抑止を意図して広められたものだとすれば、地獄以上にえげつない現世に暮らす子供たち対しては残念ながらその効果は薄いと言わざるを得ない。

 絵画にしろ文章にしろ、地獄の描写にビビッていたかつての日本人に比べて我々現代人は極悪非道化が進行していると言えまいか。「地獄の責め苦など生ぬるい」と感じてしまう程に。                           

                      (2011.8.29)

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